知多郡道

半田街道
(旧大浜街道)

半田街道
(知多郡道)

緒川道

丸内古道

緒川道大師道

旧大浜街道

宮道(熱田道)

歴史の道

古くから利用されてきた歴史の道を再発見!

大師道

街 道 説 明
半田街道 鳴海から半田へ向かう道を半田街道とよんでいます。また「尾張名所図会(天保12年(1841)」では、笠寺から知多へと向かう道を「知多郡道」と紹介しており、その土地土地で呼び方が異なっています。また、反対に前之輪から熱田へ向かう道を地元の人は「宮道」・「あつたみち」と呼んでいます。
丸内(まるち)古道 前之輪から東海道の平部(中島橋の南)へと通じる道です。鳴海潟によって形成された小高い砂州の上を道は通っています。2000年の東海豪雨の際、汐田地区や京田、丸内地区は浸水で多くの被害が出ましたが、前之輪と丸内古道沿いの旧集落だけは浸水を免れました。道は善明寺まで続いています。
宮道(あつた道) 前之輪から熱田(宮の宿)へ至る道で、昔はよく利用された重要な道でした。天白川に木橋がありましたが、扇川は渡し舟で越えていました。これは明治33年(1900)に、汐見橋が架かるまで続いて、「黒末の渡し」と呼んでいました。舟は1せきで往復していたようで、当時の記録によれば、川幅役2.7m、川底は深いところで3.6m、浅いところでは1mぐらいだったということです。
大師道 前之輪には、新四国を巡礼する人が泊るための宿屋が数軒ありました。この道は前之輪から新四国の1番「曹源寺」(豊明市栄町内山)へと向かう道であったと思われます。緒川道から桶狭間を通り豊明へと通じていたと考えられます。
緒川(おがわ)道 大府・共和方面から鳴海で鎌倉街道に合流する峠越えの道です。鎌倉時代からあった古い道です。明治24年(1891)の地図を見ると、道は現在の「大高緑地公園」の中から蝮池へ抜け、大府、東浦へと向かっています。
大浜街道 現在の大浜街道(県道50号線)は、大正13年(1924)国道1号線の建設に先駆け建設されたものです。以前は東海道の本町から曲がりくねりながら南下し、鳴海八幡宮と成田商店の間の細い道(緑小東門前の道)へと通じていました。大浜街道は大高町鳥戸(大学堂の前)で半田街道(常滑街道)と別れ、碧南・大浜へと続いています。
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