現在の大浜街道

 鳴海八幡宮

鎌倉時代(1232年)にすでに記録が残っているので、それ以前の創建と思われます。明治5年(1872)以前は八幡宮、以後は八幡社と呼ばれていましたが、昭和43年(1968)に「鳴海八幡宮」と改称され現在に至っています。境内にある大楠は神木で、室町時代にはすでに大木であったと伝えられています。礼祭は10月上旬に行われます。みこし行列が出て、町内を巡ります。
 道標(みちしるべ)地蔵

八幡宮南西の成田商店の角に「道標地蔵」があります。石に刻まれた文字を読むと、「左ナルミ道 右ありまつ道」とあります。
 
 
   良信地蔵

大浜街道が二又に分かれたところにお地蔵さまがあります。台座に「良信地蔵」とあります。宮道や大師道といった道が、この場所を基点に伸びていることもあって、当時としては人の往来も多かったようです。地元の人の話では、新四国巡礼の人が泊るための旅館も数軒あったということです。 
 大師道の道標

道標には「←やごとかさでら道」・「→新四国いちばん大師道」と刻まれています。新四国の一番は曹源寺(豊明町栄町内山)をさすことから、そこへ通じる道であった考えられます。 
 
 イブキの大木

街道を進むと、個人宅の庭に植えられた「イブキ」の大木が目に入ります。樹高13.5m、幹まわり2.6mとのことです。 
 
  6 秋葉社

全国には多くの秋葉神社があります。火事による災いがないよう火を司る神様がまつられています。 
7.名忠院

天正元年(1573)に創建、元和5年(1619)春江院の末寺となりました。
この寺は県下で初めて保育園(子供の家保育園)を開設したことで有名です。境内に記念碑があります。 
 
   鷲津砦跡と鷲津砦公園

鷲津砦は永禄2年(1559)織田信長が大高城を見張るため、丸根砦とともに築きました。永禄3年(1560)桶狭間の合戦の時、今川勢に攻められて落城。大半の兵士が討ち死にしたと言われています。昭和13年(1983)に国の史跡に指定されました。
鷲津砦公園を含む鷲津山一帯はシイノキを主木とする、常緑広葉樹でおおわれています。自然豊かなところで、本校でも生活科などの学習でよく利用するところです。 
 長寿寺

創建は不明。桶狭間の合戦のときに燃失しましたが、江戸時代大高城主志水忠継の子、忠時が祖母の菩提のために再建しました。
新四国八十七番札所になっています。 
 
  10 丸根砦跡

鷲津砦とともに永禄2年(1559)織田信長が築きました。永禄3年(1560)桶狭間の合戦の時、佐久間盛重らが松平元康(徳川家康)ら今川軍と激戦の末、全滅したといわれる場所です。昭和13年(1983)国の史跡に指定されました。 
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大浜街道沿いの歴史探検
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